今年は異常気象に翻弄された夏だった。猛暑が続いて街が干上がったこの日、夕方にいきなりスコールがやって来て気温が一気に下がった。ディナーは新レストランに予約を入れていたので、妻は今がチャンスよ♪と雨上がりの涼しくなったちょうどの時間に外に出た。向かうは中央区警固、今年4月にオープンしたばかりの「ル・マルシャン・ド・ボヌール(Le marchand de bonheur)」。
佐賀出身の森英昭シェフが独立開業を果たしたフレンチレストランだ。彼と言えば北海道の洞爺湖「ミシェル・ブラス トーヤ ジャポン(Michel Bras Toya Japon)」で腕を磨いた、巨匠ミシェル・ブラスの弟子の一人。長年「ミシュランガイド フランス版」で3ツ星でありながら星を返上した事で昨年話題になった「ブラス(旧ミシェル・ブラス)」、その唯一の海外支店だ。

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店名の「Le marchand de bonheur(幸せを運ぶ商人)」は、ミシェル・ブラスからのメッセージから取ったものだそうだ。私達が「ミシェル・ブラス トーヤ ジャポン」に伺った時はあいにくかなりの悪天候で「ザ・ウィンザーホテル洞爺リゾート&スパ」自体が霧に覆われ全く洞爺湖の景色は拝見出来なかったが、レストランで頂いた「ブラスの料理」は本当に素晴らしく衝撃だった記憶がある。
そう言えば今年は11月にも、ミシェル・ブラス御大と息子セバスチャン・ブラス両人が来日して3日間のフェアを行うと言う。タイミングが合えば是非伺いたいものだ。そんな「ミシェル・ブラス トーヤ ジャポン」出身と言えば米田肇シェフ(HAJIME)や生江史伸シェフ(レフェルヴェソンス)、そして我が家お馴染み小岸明寛シェフ(オーグードゥジュール・メルヴェイユ 博多)など数多い。

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森シェフはその小岸シェフと共に働いていたこともあり、今でも仲良く交流がある。森シェフは洞爺湖を出た後、「ミシュランガイド京都・大阪」1ツ星だった「ランベリー 京都(L’EMBELLIR Naoto Kishimoto)」ではシェフも務めた(2人いたシェフの1人)。そこから東京の系列店「ランベリービス(L’EMBELLIR Bis)」を経て地元九州に戻り独立開業したと言う訳だ。
ちなみに「ランベリー京都」は西麻布「ランベリー」岸本直人シェフが出店したレストランだったが閉店している。ウエディングなどの採算が京都では合わなかったのかもしれない。我が家も、岸本シェフの料理は銀座「オストラル」時代や「ランベリー 青山」時代に頂いた事があり良い印象が残っている。そんな訳で森シェフがオープンした「ル・マルシャン・ド・ボヌール」へ到着。警固交差点近くの小さなビル2階になる。

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森田英嘉ソムリエ「シェ・モリタ」跡地と言った方が分かる人も多いだろう。階段を上がって入口入ると、左手にダークブラウンをベースに白壁が綺麗なモダンでありながら木の温もりも感じられる空間が広がる。テーブルクロスや棚類は黒でキュッと締めたイメージだ。入口正面チョークペイントの扉奥にはウォークインワインセラーも完備している。ダイニングにあるカウンターの奥にキッチンがあり、小窓からは森シェフの動きも垣間見える。
そして何より目を惹くのが、一番奥の白壁に書かれたフランス語・・師匠ミシェル・ブラスが森シェフに送った門出の言葉だ。直筆の手紙をプロジェクターで映しそれをなぞったと言う事。キッチンのガラスにある店名のロゴ「Le marchand de bonheur」も同様だ。厨房からも良く見える文字は毎日の志となるだろう。私達はそんな貴重なメッセージが良く見えるテーブル席に案内される。

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テーブルには見慣れたモダンな有田焼(伊万里焼)がセット。おしぼりは六本木「エディション・コウジ シモムラ」でも見た水を注ぐとブワッと膨らむあれ。そのおしぼりが入っているのは、「オーグードゥジュール・メルヴェイユ 博多」や「鮨 木島」でも見た、肥前吉田焼「224 porcelain」辻愉(与山窯7代目)作の雲形小皿(ワインコルク用トレイも)。
まず供されるのは「増田桐箱店」の桐箱に乗ったアミューズ「ケークサレ(cakesale)」。ドライトマト・アンチョビ・そら豆を練り込んで風味豊かに仕上げたものだ。季節によって食材は微妙に変えていくが、食後2軒目として使う客にもさっと素早く提供するための1品と言う。そのふんわり香ばしい「ケークサレ」に合わせて、ワインリストからシャンパーニュを選んでいこう。値段も抑えた控えめなワインリスト。

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日本ワインやグラスワインにも力を入れている。チョイスしたのは「アンリ・ジロー コード・ノワール(Henri Giraud Code Noir Brut)」。ピノ・ノワールのみで作られるブラン・ド・ノワールだ。そのノワールと共にネーミングした「コード(Code)」とは遺伝子。2007年にピノ・ノワールの遺伝子情報を初めて解析したことに由来する。
イギリスやモナコ王室ご用達で1625年から続く老舗シャンパーニュメゾン「アンリ・ジロー」、現在12代目当主クロード・ジローが仕切る。この「コード・ノワール」は2008年からリリース。ボトルはクリアでスマートモダンなデザイン。揺れる明るいオレンジが美しい。グラスに注ぐと微細な泡の立ち上がりも柔らか。アセロラ・ナッツ・白茸・・ややオイリーなニュアンスがアクセント。「アンリ・ジロー」と言うとオーク樽の印象が強いがやや控えめ。

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我が家が良く開ける「フュ・ド・シェーヌ(Henri Giraud Ay Grand Cru Fut de Chene)」や「アルゴンヌ(Henri Giraud Argonne) 」がオーク樽で12ヶ月熟成のところ、コード・ノワールは3ヶ月。その差が味わいにも反映されている。それがかえって「ル・マルシャン・ド・ボヌール」の料理には合うだろう。
見た目通りにアタックは優しいが、後半にかけてボリューム感が出てきて余韻を印象付ける。時間と共に洋梨・黄桃のニュアンスやアルコール感が表に出てくるが、バランスは崩さず最後までまろやかなミネラル感と調和した。ところでオープンして間もない「ル・マルシャン・ド・ボヌール」のサービスは現在一人だけ、若い菊池孔明くん。聞けば森シェフと「ミシェル・ブラス トーヤ ジャポン」で一緒に働いたと言う。つまり彼は本来料理人だ。

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わざわざ出身地の青森から縁もゆかりもない福岡まで、森シェフを支えにやって来た。オープニングスタッフとして色々学びたいと言う彼の真面目で真っ直ぐピュアな話しぶりに、妻はすっかり気に入った様子。「福岡で結婚してこちらでいつか独立したら良いのに」と楽しそうだった。料理人出身の彼の説明は、さすがに表現が的確でどれも美味しそう(笑)
「森シェフらしい前菜は?」と聞いてチョイスしたのが「長崎県対馬産穴子のエスカベーシュ オレンジ/サフラン/コリアンダー」だ。シェフがこの時期には必ず作る大好きな料理の1つと言う。食感を残した穴子にやはり食感のある人参。コリアンダーの花と葉もアクセント。レモンビネガーやオレンジの落ち着いた穏やかな酸味と仄かな甘みが実にバランス良くまとまった前菜。シャンパーニュにもピタリと合った。

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続いて、これも有田焼「カマチ陶舗」の平皿で登場した「ヨーロッパ産ジロール茸と帆立貝のソテー」。今や全国いや世界のレストランで引っ張りだこの「カマチ陶舗」。こちらでも全てではないが佐賀・有田まで行って揃えたと言う。ニンニク・アーモンド・パンのみを使ったピューレに肉のソースを合わせた。ジロールと帆立貝だけでなく熊本県大津産「紅はるか(さつまいも)」も加え、食べ応えと共に味わいに深みある温前菜だ。
続く前菜も菊地くんが勧めてくれたシェフのスペシャリテの1つ「軽く燻製したジャガイモのサラダ」。サクラのチップで薫製をかけて薄く切ったジャガイモが主人公。フロマージュブランの「白」で美しく仕上げつつ、キャビアや「糸島産豚を使用した自家製パンテェッタ」も添えた。塩・ハーブを擦り込んだ豚バラ肉に多めのジュニパーベリーがポイント。

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フロマージュのソースが全体の印象をまとめつつ、パンテェッタの塩気やキャヴイアの食感などが絡み、細かく計算されたなかなか完成度の高い味わいだ。妻も「びっくり!これも美味しいよね♪」と満足気であった。ちなみにパンも自家製。塩分控えめで料理に寄り添うような味わいは、しっとりもっちりした食感も楽しい。さてメインの肉は「仔羊」をチョイスしたので、赤ワインはボルドーを探す事にする。
リストに唯一あったボルドーから、ハートのラベルでお馴染みの「シャトー・カロン・セギュール(Chateau Calon Segur)2005年」をチョイスした。妻は「愛ね~」と機嫌よい。カロンという名は、かつてジロンド河口を行きかった小型の輸送船に由来する。畑は左岸サンテステフ村の中心部を背に一箇所にまとまり、周囲が石垣で完全に囲まれる。1885年のボルドー格付け(3級)時、55haあった畑が今も変わらず55ha。

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当時のテロワールを頑なに守っている。2006年「シャトー・マルゴー」ヴィンセント・ミレーを迎えてから評価が格段に上がり、「カロン・セギュールは次のステージに入った」とも評されている。2012年相続を機にフランスの保険会社「スラヴニール」が買収したが醸造チームは基本的に変わらない。ラベルもカロンの逸話である「ハート」は残されたままだ。
凝縮した赤黒果実の奥に感じる涼やかなハーブがボルドー左岸らしい。香りはまだシンプルでクローズしている。微かなざらつきを残すも、きめ細やかなタンニンが心地良いアクセント。中程度の長さの余韻にはエスプレッソコーヒー・・複雑さはまだないが穏やかなこなれ始めた飲み口が食中に寄り添う。「2005年」という秀逸なヴィンテージらしく、まだこれから熟成していくにつれ本領を発揮しそうであった。

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テーブルセッティングされたカトラリーで目を惹いたのはテーブルナイフ、1908年創業の老舗「貝印」の「旬 Shun」シリーズだ。日本発の高級包丁として海外でもプロ・一般家庭問わずヒット商品になっている。ちなみにミシェル・ブラスも貝印から特注包丁「Michel BRAS」シリーズを発売している。「ブラス(旧ミシェル・ブラス)」本店は、ミシェル・ブラス出身地でもあるライヨール(ラギオール/Laguiole)にあるので、やはりナイフ類は特別にこだわるのだろう。
加えてこちらの「特注カトラリーレスト」も有田焼特注と言うから驚いたが、これを見て「ミシェル・ブラス トーヤ ジャポン」訪問時に、気に入ってブラスオリジナルのカトラリーレストを購入した想い出が蘇った。そこに運ばれた来たのは「ニュージーランド産仔羊のロースト ぞじき クスクス ツルムラサキ」は、ニュージーランドらしい羊の香りをナチュラルに引き出す火入れだ。これも「カマチ陶舗」。

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シンプルに美味しく頂ける。クスクスの食感やヨーグルトのソースの爽やかさと共に最後まで美味しく楽しめた。こうなるともっと森シェフの料理を味わいと思わず追加で注文したのは「アサリと枝豆のリゾット」。アサリの苦味にバルメンザンチーズの旨味が効いた、バランスよく穏やかな美味のリゾット。パスタ好きの妻もこれには「おかわりしたいくらい」と満足そうだった。
最後のデセールは、華やかなゴールドの「カマチ陶舗」プレートに盛られた「旬のフルーツのコンポート」。テーブルに甘い良い香りが漂う。熊本県産フレッシュイチジクにカルダモンを効かせ、白ワインのジュレやヨーグルトのソルベを添えた。柔らかながらすっきりと爽やかで、南国福岡にピッタリな食後を彩ってくれた。全体的に細かく高度な技術と素材の味わいのバランスが良く、きっちりと目標とした味わいに着地してるフレンチ。

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店の風情やコンセプト「BAR GASTRONOMIQUE」「アラカルト常時約30種類」から軽い料理を予想していたが、食材やソースの旨味や全体の風味も料理の骨格にあり、予想以上に美味しい味わいであった。「ディナーでも2軒目でも使って欲しい」と言う森シェフの望み通り使えそうだ。帰りは忙しい中、二人揃って見送ってくれる。
手を振りながら外に出ると、また今にも雨が降り出しそうな蒸し暑さだ。妻は機嫌よく「ここ気に入った、またすぐ来ようね」と満足していたが、木の椅子がかなり固くて少し疲れた様だった。次はクッションか座布団でも持参しようか(笑) 今後が楽しみ、そんな間違いないフレンチが福岡に新たに誕生した。